今では娘と二人で旅行に行けるようになりました(⋈◍>◡<◍)。✧♡
2011年8月17日、深夜12時を過ぎたころに発症しました。
その時はまだ産科に入院中。
娘にミルクをあげるためにベットから出て廊下に出るまでは歩けたけど、
それからわずか数分後には手も足も動かなくなった。
不思議なことにそれから数時間意識はあった。
だから、左半身だけが氷のように冷たくなって、カチカチに動かなくなっていくことに
ものすごい恐怖と不安を感じたことは、今でもはっきりと覚えている。
この時から、目が覚めて、立ち直って、今に至るまで
途中、持病が悪化して手術をしたりもして、ほんとにいろいろなことがありすぎた。
(今思うとね)
ジェットコースターに乗り続けてるみたいに、気持ちはアップダウンしまくり。
この辺の話は長くなるので、また今度。
でも、今 なんだかんだ楽しく生きてる。
日々の生活でむかつくこともあるし、不安も悩みもあったりするけど
トータルすると、自由に楽しく生きてるw 生かしてもらってる。
私の2つめの人生は、1つ目の人生より間違いなく面白くなってると思う。
障がいや病気を経験したから得た気づきや感情も多いし、
起きた出来事も、出会った人々も今では私の貴重な財産。
健常者として35年(難病は10代からあったけど)
自由に生きた1つ目の人生があったからこそ、
障がい者として始まった2つめの人生が、とっても理不尽なことばかりに思えたし
どうしようもないくらい生きづらく感じた。
その気づきとやるせなさ、そして私の負けず嫌いな性格とわがままが
Mana’olanaというブランドを立ち上げ、そしてLUYL創設の礎なんだと思う。
私はただただ35年間生きてきたように
好きなことをして、好きに出かけて、好きなものを食べて
今まで生きてきた自分をあきらめることなく、自由に楽しく生きたかっただけなんだ。
こうした自分事の自分の私欲が、結果的に誰かのためになってたり、
誰かを笑顔にできてたら最高にうれしいし
気づくと社会課題も解決してたり、社会全体がよくなってたら、
一石二鳥どころか五鳥、六鳥得るくらいの幸せに繋がることになると思う
だから私はいい意味でわがままをやめない
障がい当事者ももっとわがままになったほうがいいんだよ。きっと。
中途障がい者になっても、今までの自分や生き方をあきらめることなく
最期は「いい人生だった」といえるように人生を満喫してもらいたい。
そのために、もっともっと企業の意識を変えて巻き込む必要もあるし
当事者や家族、周りの人たちの意識を変える必要がある。やることは山ほどあるのよ。
私たちだけでは到底無理。何十年かかるかわかりゃしない。
だから、お金と高い意識を持って、世界を変えたいと思っている社長さん
20年、30年先をみている社長さん
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